製薬企業の起源について

製薬企業の起源について

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日本近代医学の幕開けには、製薬企業が深く関わっています。外国からの薬を輸入していた薬問屋が、独自に医薬品の研究・製造に参入してきたのです。いくつもの国産の製薬会社が誕生しました。そして飛躍していきますが、そこには著名で優秀な薬が存在しています。

 

明治初期にベルリン大学に長井長政が留学しました。彼は帰国後、東京帝国大学で薬学を担当し、漢方薬の成分研究を行いました。その結果、麻黄からエフェドリンを抽出に成功しました。晩年は日本薬学会の初代会頭となり、日本薬学の礎を築いたのです。

 

製薬企業の起源について

 

彼のもうひとつの功績は、日本初の製薬会社の創設です。明治16年に政府援助を受けて「大日本製薬」を発足させました。彼は同社の製造長として、国産製薬事業の創世記に大きな足跡を残しました。

 

これ以降、続々製薬会社が誕生します。さらに、第1次大戦下で、輸入医薬品は不足しました。そして医薬品製造にますます拍車がかかったのです。重要な医薬品のうち、モルヒネ、アスピリン、サルチル酸などがこの時期に本格的に製造開始されました。

 

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明治・大正に見る国産化の胎動

 

現在の医薬品製造メーカーがこの時期に、前後して創業しています。各製薬会社ごとにシンボル的な薬があります。武田薬品は明治28年専属工場設立し「塩酸キニーネ」の生産開始しました。国産化事業の起点です。戦後は「パンビタン」(総合ビタミン剤)、看板商品での「アリナミン」を発売しました。

 

旧三共(第一三共)は明治23年、高峰譲吉が麹菌から発見した消化酵素剤「タカジアスターゼ」の発売のため設立されました。大正2年に株式会社化され、初代社長に就任しました。その後、画期的新薬であるコレステロール低下薬「メバチロン」の開発により、国内では不動の地位となりました。

 

 

塩野義製薬は、明治11年大阪で和漢薬問屋でスタートし、明治42年に自社開発制酸剤「アンタチジン」を開発しました。自社ブランドでの抗生物質中心に技術を確立し、現在でも国内製薬企業の一角を占めています。

 

田辺製薬は、徳川幕府の公認の和漢薬商でしたが、明治に入り西洋薬にシフトしました。大正11年に止瀉薬「アヂナミン」を自社開発し、新薬を次々と生み出す製薬企業でした。このように、薬との出会いが製薬会社を生みかつ育てます。





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